F.CHOPIN、ルドヴィカへノアンの暮らしの真実と嘘、そして、ソランジュの心配

ショパンはサンドの館の1階の縦型ピアノの隅っこにあるサイドテーブルに向っていた。

サンドは南フランスへショパンと冬の間、息子のモーリスと娘ソランジュも一緒に

行く為にお金が欲しいことをルドヴィカへ伝えたが、ルドヴィカからは良い返事が来なかったため、ショパンがルドヴィカへ書く書簡の内容がよくないのではないか、とサンドは思ったのであろう。

ショパンは9月の終わりごろかもしれないが(現存せず)いちどルドヴィカへノアンの様子を伝えていたのだが、10月になって、再度ルドヴィカへ書簡を書いて送ったのだ。

サンドとうまく行っているように書かなくてはならないショパンは、10回も書簡を書き直しているのだ。サンドの検閲なのかもしれなかった。

「あなた方は皆、休日から戻っているに違いありません。

ママはジエワノフスカ・ジョセフィン嬢のところから帰って、チェホンスキのところへ行っていたルドヴィカ、そして、バルチンスキ(妹イザベラの一家)一家も温泉へ行き、

冬の健康を保っていることでしょう。

神のご加護を!ここの夏は、そのようなものを長い間思い出せないほど素敵です。

そして、今年の収穫はあまり良くありません。

この地区の人々は冬を心配しているが不満はないのです。」

ショパンはワルシャワの家族が皆元気でいることを願っていることを最初に書いて、その後からノアンの収穫がよくないから生活が大変なことを伝えた。

しかし、村の人々は辛抱強い、いい人ばかりだと印象をよくするように書いている。

そして、サンドに書くように言われたと推測できる・・・村の人々はぶどうで生計を立てていることをショパンはルドヴィカへ話した。

「ここでは、ブドウの収穫が非常に良いためです。ブルゴーニュでは

ブドウの品質に関しては、1811年よりもさらに良い出来です。

昨日、サンド夫人はアレキサンドリアという名前のぶどうからからジャムを作りました。

これらはマスカットに似た非常に大きなブドウです。しかし、このぶどうはノアンの気候では完全に熟成しないため、ジャム作りに最適なのです。

ぶどう以外の果物はノアンでは、あまり作られていません。

その他、ノアンでは、多くの生い茂った葉や花があります。」

サンドがジャムを一人で作ったかはどこまでが本当かわからないが、サンドは使用人を何人も雇っていたため、作るように指示はしたのであろう。しかし、サンドが家庭的であるかのごとく書かねばならないショパンであるのだ。

ショパンは本当のことをルドヴィカがノアンへ来てくれた時に話してあるため、

サンドが脚色して書くようにショパンに強いたとしても、ルドヴィカは真実を知っていたであろう。その後は、ショパンはこれは事実なのであろう。淡々と使用人のことを

書いた。

「今、ここには新しい庭師を雇っています。あなたとあなたの夫がここで会った年老いたピエールさんは、(サンドに)解雇されました。

40年の勤続(彼は祖母の時代からサンドの館にいました)にもかかわらず、ルースの母である、誠実なフランソワーズと共に解雇されたのです。最も長い勤続をした二人の使用人です。

新しい召使たちが、若者[モーリス]と従姉妹[オ―ギュスティーヌ]とうまくやっていけることを神に祈っています。」

召使の事はサンドの息子と娘がいつも折り合いが悪かったが、そこへ来て、サンドが養女に迎えた姪のオ―ギュスティーヌと召使がどうやら上手く行かなかったのかもしれない。

ショパンは使用人のことは気にかけて親切にしていたが、そういうショパンから見たサンドは人情のかけらもないように思えたのだった。そして、

「ソランジュは具合が悪かったのですが、彼女は全くの昔の性質のままです。

しかし、この前、私があなたに話した[この書簡は紛失]、あのハンサムな若い男[フェルナン・ド・プレオ―]と結婚するということだ。」

サンドの娘ソランジュは若い田舎の紳士、フェルナンド・プレオー子爵と婚約したのでした。

。ソランジュはオーギュスト・クレサンジェと出会ったのがその前だったか後だったかは、わからないが、もしかしたら、サンドが貧乏な彫刻家と結婚させないようにこの子爵との婚約をさせたのかもしれない。

サンドとずっと折り合いが悪いソランジュをショパンはいつも心配して来た。

サンドは養女のオ―ギュスティーヌを迎えたので、ソランジュを早く厄介払いしたいのである。その証拠に、婚約して幸せなはずのソランジュだが、ずっと具合が悪いのだ。

やはりソランジュが望まない婚約なのかもしれない。ソランジュは9月13日で、まだ18歳になって1か月経ったばかりだった。

ショパンはこの経緯の真相は知っていても、サンドの検閲があるルドヴィカへのこの書簡にはそれ以上書けなかった。

ソランジュ・サンド(1828-1899)

アレキサンドリアのマスカット(ぶどう)

0コメント

  • 1000 / 1000

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです