F.CHOPIN、すべての愛を与えるフレデリックと見返りを求めるサンド、そしてスカルベック伯爵の今

「私は、あなたについて彼と会ったら話すのを楽しみにしています。そして、ティトゥスと、あなたの小作人であるカロルさんにもよろしく伝えてください。

そして、私の名づけ親のスカルベック伯爵にも宜しく伝えてください。

今年のフランクフルトでの開催と同様に、彼が来年のブリュッセル会議(発表されています)に行かれるのであれば、私は彼に会えることを期待しています。

鉄道が長い距離を運行されるようになるからです。 ヨゼフの家族と私の親しい友人たちのことも私に教えてください。

あなたと私のママへ私のすべての愛を フレデリック・ショパン」

フレデリックはようやく長い長い書簡のまとめに入った。古い友人のヨゼフ・ノヴァコフスキがパリに来ているとロゼール嬢から聞き、どうしても「ノブ」に会いたいとフレデリックは思っていた。小作人のカロルさんの事も昔の知り合いなのであろう、気遣うフレデリックだ。

そして、フレデリックは名づけ親のスカルベック伯爵に会うことで、ポーランドへ帰るための足がかりになることを期待していたのかもしれない。

いつまでもルドヴィカと話していたいフレデリックであるが、追伸を忘れずに付け足した。

「あなたにはほとんど役に立たない無駄な紙を申し訳なく思いますが、今すぐ送らないと明日また書簡を書き始めることになり、決して終わらないでしょう。

私はこの手紙をロゼール嬢に送ります。彼女もいつものようにあなたへ手紙を書くと思います。

みんなによろしく。」

フレデリックはようやく1週間程でルドヴィカへの書簡を書く筆を置いた。

そして、最後に、いつものようにサンドからルドヴィカへの追伸が添えられた。

「親愛なる友人へ

私はあなたを愛しています。私がこれまで知っている唯一の永遠の繰り返しです

お返しにあなたも私を愛して幸せになってください。

あなたの 子供たちをあなたのように育てれば、彼らは完璧になるでしょう。

いつもフリッツのことを忘れないで......彼があなたのことを想うよりも、彼があなたのことを想うことの方が多いでしょう。

彼は 順調です。彼は一日も寝ることなく夏を乗り切りました。

私の娘は思春期の娘によく見られる症状で体調を崩していましたが、今では、以前のような元気な姿になっています。私の息子 からあなたへ敬意を表しています。私たちは皆あなたを愛していますが、私はあなたを崇拝しています。

カラサンテに『ご機嫌いかがですか』と伝えてください。ジョルジュ・サンド」

いつも大袈裟ともとれるサンドはルドヴィカへお金の援助を期待していた。

こうして、フレデリックの書簡はひとつにまとめられて、パリのロゼールへ先ずは送られたのであった。

フレデリックはポーランドへ帰ることができるかの期待を寄せていた名づけ親のスカルベック伯爵は古くからのポーランド貴族であったが、11月蜂起後のポーランド王国のロルド大統領の前で、彼は伯爵の称号が有効であることを証明できなかった。1846年3月26日から4月7日にかけて紛争の結果、皇帝ニコライ1世は彼にロシアの伯爵の称号を与えていたのでした。フレデリックは恐らくはローラ夫人から聞いていたであろう。。。


フレデリック・フロリアン・スカルベック伯爵

ロシアの伯爵の称号を与えられた頃 推定


スカルベック伯爵1837年

ポーランドの伯爵だった頃

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