2018年12月27日記事から 【ショパンと2度目の旅】をお届けします

ショパンはヴロツワフで演奏会に出演したり、親切な商人にヴロツワフの美しい街並みを
辻馬車で案内してもらうなど充実した日を過ごした。
伝統を重んじるドイツの人々はポーランドから来た若いショパンの演奏スタイルや曲の形式
の新しさを受け入れてはくれなかった。しかし、ショパンは様々な人々と交流して
概ね満足の得られる滞在であったようだ。
その5日後にショパンはドレスデンに来ていた。
ショパンは少年のときにドレスデンに1週間程旅行に来ていたので
ドレスデンは2度目の訪問であった。
ドレスデンではポーランド人だけの集会があり、ショパンもそこへ出向いて交流をしたり、
街の劇場で行われる演奏会に出向き、オペラを堪能したショパンであった。
彼は、そこで出会った親切なイタリア人音楽家と友情を深めたものの、
ドレスデンではショパンは演奏会の機会も得られず、
当時のドレスデンはアントン・クレメンス王はフリードリヒ・アウグスト1世(ザクセン王国の初代国王で(在位:1806年 - 1827年)ワルシャワ公を兼任する王様であった。
ショパンがドレスデンに行った1830年のときは、弟の2世でアントン・クレメンス(在位:1827年 - 1836年)であった。
ショパンはオペラ劇場や礼拝堂で大ミサ式などでアントン王が来ているのを見ただけであった。
ドレスデンでは名声もお金も得られないだろうとショパンは感じたようだ。
彼は有名なドレスデン美術館を訪ねたが、ショパンは「緑の丸天井」と呼ばれる博物館はあ
まり気に入らなかったようだ。
恐らく、絵心が少年の頃からあったショパンは絵画に興味があったであろう。
1754年にドレスデンに迎えられたラファエロ作の「システィーナの聖母(サン・シストの聖
母)」は、アウグスト1世のコレクションで有名であった。
ショパンはドレスデンで、また訪れたい場所は絵画館だけであったようだ。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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