F.CHOPIN、サンドとショパンを頼って来たカシミール氏とは、そして、ノアンの庭師を想う心境は。。。

時は1847年、年が明けてもノアンのサンドとパリのショパンの書簡のやり取りは
頻繁に続いていた。
パリでは大胆不敵でたくさんの芸術家のパトロンのイメージで名を馳せてきたサンドであったが、実際には用心深かった。
ノアンのセントラルヒーティングも完成したのであろうか、パリの情勢も芳しくなかったからか、いや、恐らくはノアンでの素人人形劇の運営の散財が原因で借金から逃れていた可能性が高い。パリでは借金があると投獄されてしまうからだ。。。
借金の返済にショパンも関わっていたのであろう、ショパンはパリ働き、サンドはこの冬の間はノアンで過ごすつもりのようだった。
ショパンから書簡を受け取ったサンドは
その日のうちに直ぐに返事を書いて返信している(現存しない)ことがショパンの書簡から読み取れる。
「私は、あまり良いことがなかったのですが、あなたの書簡はとても面白かったですよ。」
ショパンもサンドへの返事をその日のうちに直ぐに書いた。
サンドから書簡で訊ねられたことに対して返答をしたショパン。
「しかし、ボンジュールさんに関してですが、(ボンジュールという名前の人でしたら、)私はカシミール・ボンジュール氏にしか出くわしませんでした。
彼はフランスアカデミーの永遠の候補者ですよ、、」
カシミール氏とオデオン劇場でショパンは偶然出くわしたのであろう。
フランスアカデミーとは1634年から1635年にルイ13世の時代に首相だったリシュリュー枢機卿により設立されフランスの公的機関で文芸評論家、哲学者、歴史家、科学者、そして伝統的には高位の兵士、政治家などの集まりで、当時カシミール氏は文学者であったが、フランスアカデミーに応募したが入選しなかった。
彼はビィクトル・ユーゴーと対立していたためなのか、この集まりのメンバーの候補にはなるが毎回入る事が出来なかった。
「カシミール氏は私の友達だと主張しているのです、私は以前にも同じようなことがあった紳士を思い出させます」
パリで有名なショパンは身に覚えがない人物から友人だと言われることがよくあった。
「その紳士はトゥレーヌ公爵に私と友人だと話たことがありました。」ショパンは
サンドに以前あった例と同じ事だと伝えた。
カシミール氏は芸術家のパトロンとして有名なサンドにショパンと友人だと書簡を送ったと推測できる。それで、サンドがショパンにカシミール氏と面識があるかを確認して来たというわけだ。
ショパンのサンドへの書簡の返事は、それから話題を変えた。
「だから今、あなたは劇的な執筆活動にあらゆる瞬間を与えていることでしょう。
私は確信しているのです、あなたのプロローグは傑作であり、あなたはリハーサル(ノアンの館の素人人形劇の稽古)を楽しんでおられることでしょう。
しかし、あなたの厚い毛皮のコートと、あなたの芸術の女神を忘れないでください。
天気が戻ってきましたね。私は天気予報を見ました、彼らに賛辞を送ります。
私はあなたの花の世話をしている庭師の名前を忘れていません。
あなたは楽しい時間を過ごしてください。
みなさん、元気にしていてください。
 忠実なショパンより
 あなたの愛する子供たちへ 」
当時既に天気予報の発明が進んでいたのだ、
ショパンは新しい発明に興味がいつもあり、発明家を尊敬していた。そして、ノアンの庭師は複数人いたのであろう、いつもノアンの二階の部屋の窓からショパンは庭師の人たちの働きを見ていたのだ。
優しいショパンはサンドの使用人たちにも、いつも心を配っていた。それは、自分の両親が昔、スカルベック貴族の使用人として苦労をして自分を育ててくれたことに重なる
想いがあったのかもしれない。
そして、カシミール氏のこともショパンは助けたに違いなかった。

カシミール・ボンジュール
(1795年3月 15日フランス、クレルモンアンアルゴンヌ1856年6月 21日パリ)
劇作家、小説家、詩人
 
憲兵隊の下士官の息子だったカシミールは、ランスの大学で勉強した後、通常の寄宿学校に入学しました。彼はしばらくの間リセ・ルイ・ル・グランで修辞学の教師でした。
その後は、演劇の執筆活動を始めましたが、大蔵省で司書として働きました。
彼の作品は道徳的な内容をのコメディで大衆に好まれました。セゴビアの学士号を作成するのに彼は10年かかりました。
彼はお金儲けよりも芸術的な評判を大事にしていました。彼はフランスのアカデミーに何度も応募しましたがビィクトル・ユーゴーと不仲だったため彼はメンバーになること諦めざる得ませんでした。
ノアンの庭の春 イメージ

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