F.Chopin、フレデリック、終わらないルドヴィカへの書簡…親友ドラクロワに会いに…

フレデリックが最近面会しのは、サンド一家、フランショーム、銀行家レオ、ヴュータン夫妻、その他は疲れないようにしながらもお金の為に行うレッスン5人、それから、ショパンの原稿の写しを手伝っていたショパンの弟子のロゼール嬢であることを書いて、ルドヴィカへの書簡はようやく最後楽章に入った。
「ロゼールからの書簡を同封します」
ショパンはロゼールを嫌っていたが、ロゼールはショパンに対して相変わらず献身的だった。
「サンド夫人からのメモはありません。
サンド一家はパリから急いで逃げ出そうとしていましたから。サンド夫人から今日、ノハンから知らせが来ました。彼らは元気で、再び家の中の模様替えをしているそうです、
皆んな、家具の配置替えが好きなのです。
ルース(使用人)はノアンに到着するとすぐにサンド夫人により解雇されました。
ということは、あなた方(ルドヴィカ夫妻)がノアンに来た時にいた年老いた使用人は一人もいなくなりました。
40年間ノアンの使用人だった老庭師、それから18年勤めたフランソワーズと、そして、
ノアンで生まれたルースももういません。
ルースはソランジュと同じゆりかごで洗礼式を受けました。
ソランジュのいとこ(オーガスティン・ブラウト)がサンド一家の家族になって以来、モーリスは彼女を自分の都合のいいように利用しているのです。これは私とサンド夫人の間にも当てはまることなのです。」
(オーガスティン・ブラウト
 娘のソランジェとショパンが仲がいいことを恨んでいたジョルジュ・サンドは、1846年1月から、姪のオーガスティン・ブラウトを自分の養女に迎えた。)
ショパンのことや今まで長年ノアンでサンドが繰り広げて来た様々な事をよく知る使用人をサンドは全員解雇したのだ、、
ショパンはサンドの使用人に対しても気遣いをしてきた、人としての心の交流があった、
ショパンはそれが残念であった。
養女オーガスティンをサンドが迎えてから、
ノアンの様子は変わりつつあった。
「11時です。ロゼール嬢が私のアパルトマンに来ました。今、暖炉の前で体を暖めています。彼女は自分が書いたあなたへの書簡がまだ出されていないことを驚いている。
彼女のメモが古くなるだろうと文句を言って、彼女は新しく書き直しをすると言っています。」
パリでは生活の事を頼れる相手がいないショパンは結局ロゼールと付き合っていた。
「 また書くことを中断して一日が過ぎました。
前にも言ったように、私は、
 昨日シェフェールのところへ行ってから、そこからドラクロワに会いに行きました。」
ショパンはアリ・シェフェールの肖像画のポーズを取りに頻繁に行くのは口実で、ドラクロワに会いたかったのだ。しかし、ショパンはドラクロワに会いに行くことも人目を気にするようになっていた。
だから、お金のためのレッスンは二の次なのだ。「その時間を取る分私のレッスンの時間を省きました。」ドラクロワと会う事の方が大事なショパン。
「私は服を着替えることが面倒でしたので、
夕食のために家で一人でヴィスワの歌を歌ったりして夜を過ごしました。」
ショパンはドラクロワと会ったことで、しばらくは寂しくない、イメージが良いうちに、
ピアノに向かいポーランドに伝わるヴィスワ川の歌を歌って弾いた。
「今日、私は7時に起きた。私の弟子のグートマンが来ました。
今日の彼のリサイタルを思い出させてくれました。」グートマンはショパンの書簡をワルシャワまで運んでいた。ロゼールからグートマンへ渡して、グートマンがワルシャワへ運ぶ。グートマンいったいどこで演奏するのか不明だが、リサイタルの後に実はワルシャワへ行くから、『早く書簡を書き上げてください』とショパンの様子を見に来たのだ。
「床屋のデュラン からチョコレートが届きました。それは私のためのチョコレートで、
私の愛弟子の一人のいとこが民間の会社による調味料で作った特別に準備してくれたボルドー産のチョコレートです。」
フレデリックは体を心配する姉にチョコレートは辞めたと言っていた頃があったが、辞められなかったのだ、辞めるどころかわざわざ特注で自分だけのチョコレートを作らせていた。
贅沢を辞められないフレデリック、、チョコレートに依存していた。
「今朝は少し霜がおりましたが、幸いなことに大したことではありませんし、きっと天候は何の問題もないでしょう。」
フレデリックはまだ書き終わらない、
ロゼール嬢がやって来ても、まだ書き上がらないフレデリック、グートマンは早朝にショパンの書簡を取りに来た。しかし、フレデリックはルドヴィカとの対話がなかなか終わらない、次はいつ書いて出せるかわからないからだ。もう少しもう少し書き溜めてからルドヴィカへ書簡を出したいフレデリックだった。


フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(1798−1863)
1837年、自画像より
(ルーヴル美術館所蔵)
1858年ナダールによる写真より、ウジェーヌ・ドラクロワ

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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