ショパンとサンドが破局を迎えた後も、
ショパンはソランジュと頻繁に連絡を取り合っていた。
ショパンがあれほど苦しんだ《チェロソナタ》はショパンの手により売却し(当時は著作権がなかった)、そのお金をショパンはなんとソランジュに送金していたのだ。ショパンもお金に困っていたはずなのだ、それなのにショパンはサンドと破局した後、サンドが「ソランジュの面倒を見てください」、と言ったように、
ソランジュにショパンは送金し続けていた。
ショパンはサンドと別れても、サンドに逆らうことはポーランドの家族に何が起こるかが不安なのだ。いずれにせよ、ショパンは自身の意思であったように、ソランジュが好きだし、ソランジュを見捨てることが出来なかったのだ。
そんなショパンの育ちのいい優しさを
ソランジュはまだ19歳とはいえ、したたかに知っていた。サンドとソランジュ、どちらもしたたかな女なのだ、
ソランジュは、ショパンがお金を援助してくれたことをブザンソンのクレサンジュの実家から書簡を出した。
「あなたが私から手紙を受けるのは久しぶりですね、ショパンさん。
汚れたお金の問題で頭が一杯で、一度は私たちは破滅したと思いました。
明日パリで期限が来る手形を償還するために8,000フランが必要でした。このような状況では、父からの借金をしても、このお金が間に合う見込みはありません。
父は勇敢にも私たちを助けようとしてくれました。
最後の最後に、幸運なことに、私は旅行鞄の中に公証人の書類を見つけ、ルクセンブルクから9,000ドルを手に入れました。あなたは、私の守護聖人が手を貸してくれたようだと同意するでしょう。
私の守護聖人が手を貸してくれたようで、私が役に立たないと思ってパリに置いてきた書類を、あなた自身が私の財布に入れてくれたことに同意していただけるでしょう。」
守護聖人とはショパンのことだ。恐ろしいサンド親子、サンドと別れてからは、ショパンは今度はソランジュにお金を送っていた。
ソランジュがパリのショパンの部屋に忘れて来たカバンの中にあった書類にショパンはサインをし、9000フラン(900万)の小切手を忍ばせてソランジュに送ったのだ。
ソランジュはショパンの部屋を訪ねた時に自分が来たことの痕跡をわざと残して行った、よくある女の技だ…。ソランジュが言うには、
サンドから結婚の持参金としてクレサンジュが貰った全財産はクレサンジュの借金返済には足りず、パリで財産を差押えされてしまい、二人はパリには住めずクレサンジュの実家ブザンソンへ逃れていたのだった。
ショパンはソランジュの鞄に小切手9000フラン(現在の凡そ900万円)を忍ばせて黙ってソランジュに送ったのだ。
ソランジュのショパンへの手紙はしつこかった。母親サンド譲りなのか…。
「…結婚して4ヶ月でこのような状況になるとは…、ところで、ブーゼモンド氏から500フランをあなたに返済します。
あなたがしてくださった貴重なご好意は、あなた自身は覚えていると思いますが、
私はそれを思い出したくはありません。」
ソランジュはショパンから貰った9000フラン(900万)のうち500フラン(50万円)をブーゼモンドから借金してショパンに返済するとショパンに言った。だから、残りのお金は免除してほしいとショパンにソランジュは言っているのだ。しかも、「このことは忘れてくださいと」と、身勝手な女ソランジュ…。やはり、サンドの子だけのことはある、悪知恵が長けているのか。
サンドと仲が悪くとも、やはり親子の縁を切ったわけではないから、まさかサンドの入れ知恵なのか。それとも、ソランジュのお腹の子はショパンの子なのか、だから養育費を
ソランジュは案にショパンに請求したのか、ショパンほどの思慮深い人間が、ただの同情心で、いくら知らない仲ではなくとも9000フランもの大金を無言で渡すのは不自然なのだ。
しかも、ソランジュはフィリップ王の子供かもしれないのだ、ショパンはフィリップ王に事あるごとに逆らってきたが、もしもソランジュがフィリップの子供だとしたら、ソランジュを擁護すればショパンは反体制派のブラックリストから外してもらえるかもしれないのだ。ショパンはアメリカへの亡命を諦めたのか、ソランジュの言葉に絆されて、
ソランジュの言われるがままになっているショパン…。
ソランジュはショパンの優しさにつけ込んで、お金の話しは忘れましょうとさらりと言いながらも、ショパンの気を引く言葉を並び立てた。
「あなたが私たちにしてくれた貴重な好意を、あなたは充分に覚えていることでしょう。しかし、私はあなたに思い出させようとはしません。」
サンドへショパンがサンド一家の揉めごとの仲裁役をしてきたと書いたことをまるで知っているかのソランジュの発言なのだ。
それを忘れてくださいと自分達の世間体だけを気にする一方的な口をきくソランジュ…。
「あの日、私たちは悲惨な状況(事件のこと)に陥っていたはずです。それは、
私は初めての経験で、とても怖かったのです。
今では、そのような経験を積んでいるので、そのようなショックを受けることはありません。人は何事にも慣れていくもので、心配事にも慣れていくものです。なお
人は、罪を犯したのと同じように、必ず罰せられるということです。」
これは聞き捨てならぬ、ただならぬ手紙なのだ。こういうことだ(こんな事件とはノアンのモーリスとクレサンジュの乱闘事件、こんな酷いこと以上のショックな出来事などあり得ないから私達は、怖いものは何もないのですよ、そういう私達に逆らうあなたは罪人で、あなたが罰せられるのですよ)
やはり、これは後ろでサンドが手を引いているのであろうか…。
まだ、ソランジュはショパンへ書く…
「私を見てください、私の贅沢な趣味を、私は贅沢な馬車を買わなくてなりません。
私は、詩の夢を見て、空想の世界に住みたいのです。
それなのに、今の私を見てください......最も平凡な人間よりも、平凡でありふれたケチな人になっている。
何百万ものお金を散財した私が、たった一週間で私を295歳以上も老けさせてしまったのですから。」
9000フラン(900万)ショパンからせしめた
ソランジュはまだお金が足りないと言っているのだ、、、ショパンに借りた馬車をそのまま私にくださいと言うことか。
ケチな生活苦で老婆のようになってしまったからもっとお金をくださいとショパンを脅すソランジュ…。
「私のようにお姫様のように育った女性で、このような厳しい試練を私のように冷静に耐えられる人は少ないと思います。
一方では、お金の心配、他方では、私が人生とは何かを知る前に私を捨てた母親、愛情や親切心よりも厳しい優しさのない父......。
このようなことは、19歳の女の子には毎日起こることではありません。……
私の母は神が私に与えてくれた最初の、そして最高の友人でした。今、私は天のすべての聖人のもとに母に捨てられました。」
どこか不自然で矛盾だらけのソランジュの大げさともとれるショパンへの手紙、ショパンに私はお姫様だとアピールしながらも、
母から捨てられこんなに苦労しているからショパンにどうにかしてほしいとしつこく言い続けるソランジュだ。
お姫様の暮らしには9000フランでは足りないと守護聖人ショパを脅すソランジュだった。
ソランジュの陰にはサンド、そのまた陰にはフィリップ王がいるのか…。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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