F.Chopin、ソランジュのアリバイ作りとショパンへ怪しい霊媒師からの勧誘、その陰にサンドあり

ショパンはこのままソランジュの言いなりになっていたらお金も馬車も奪われ、一文無しどころか、ソランジュとクレサンジュの借金を背負わされかねないのだ。現にクレサンジュの借金を肩代わりしたことになってしまっているのだ。実は、
ソランジュがショパンの部屋に置いてきた
鞄の真相は、ソランジュがショパンの部屋にわざわざ忘れてきたのではなかったのだ。
一度、ノアンからパリに立ち寄ったソランジュとクレサンジュはロゼールにソランジュの小さな鞄を預けて、それをショパンがロゼールから受け取って、そのソランジュの鞄の中に小切手を入れたのだ。そのことを、
ショパンにパリに忘れてきた鞄にショパンが自主的にお金を入れてソランジュへ送ったことにしましょう、とソランジュは、
ショパンにアリバイ作りをしたことになるのだ。
ショパンの意思で、お金を送ったのだから、お金は全額返さず、あとのことは何もなかったことにしましょう…ソランジュはショパンからお金を貰ったことを誰かに隠し、借金から逃れることの口裏合わせをショパンにしたのだ。
それは、ソランジュがブザンソンからショパンへ口裏合わせの手紙を書いた12日前のことだった…。ソランジュへのショパンの書簡である。
「朗報に心から感謝しています。(ソランジュの手紙現在せず)
あなたの小さなバッグはすでに私に届いています。
私は、ロゼールへあなたが手紙を書くと伝えました。」
手紙はないが、ショパンとお金の受け渡しの方法をロゼールを通して既にしていたと見られる。
そして次の日であろうか、
「私はラフィット社の馬車置き場に片方のドアから入ったのですが、ちょうどあなたはもう片方のドアから出て行くところでした。」
ソランジュとクレサンジュはブザンソンへ行く前にショパンにお金を貰うためにパリに立ち寄ったのだ。パリで財産を差押えになっている2人は警察に追われていた。当時パリでは借金は犯罪者なのだ。ショパンの小切手はソランジュの小さな鞄に入れて、ロゼールの手に渡り、ロゼールから、パリのどこかの馬車置き場でソランジュへ手渡された。ショパンはソランジュと別々の扉ですれ違うがお互いに知らないふりをした。
「私の辻馬車の番号が7だったのです。
(ショパンは何故だか"7 "を不吉なナンバーとしていた。)
昨日は、I7日にでしたから、あなたの手紙(現存しない)に私は、すぐに返事をしませんでした。
私の手紙がブザンソンであなたが受け取るようにしたかったのです。」
こうして、ショパンから小切手を受け取ってからソランジュとクレサンジュはブザンソンへ逃れたのだった。
ショパンからソランジュへの労りの社交辞令は続いた。「それで、あなたは素敵なフランシュ・コンテ地方を観光するのですね。どうか
お返事をどこに送ればいいかわかるように、(フランシュ=コンテ地域圏、フランス東部、スイス国境に位置するブザンソンの歴史的地域圏)
旅先でのお便りを忘れないでください、
お返事を差し上げますから。私のスウェーデン人(マッサージ師)は私を置いて行ってしまったので、私は彼を追ってストックホルムに行くことができません。
ノアンからの便りはまだありません。
あなたは今も元気でいなければなりません。
 あなたとあなたのご主人の幸せを願って、あなたに温かく握手させてください。
あなたとあなたのご主人の幸せを祈ります。
ショパン」
この、ショパンとソランジュのやり取りは、まるでヴォジンスキ家の親子と付き合って酷い目に遭わされた時の事と重なるようだ。
10年前はヴォジンスキ家に手切れ金として、
お金やショパンのピアノを奪われたことがあったが、今度は人が入れ替わっただけで、
9000フランとショパンの馬車を巻き上げられるところなのだ。ソランジュはまだ足りないとショパンに作り話ばかりして来るのだ…。
その3日後、追い討ちをかけるかのように、
バロネス・ビリング・ド・クルボンヌ男爵夫人を名乗る怪しい人物からショパンに宛ててパリのアパルトマンへ不吉な書簡が届いた。
「デルフィーネ・ド・ジラルディン夫人からの依頼で、明日の夜遅く8時半に
明日の夜、遅くとも8時半には、その霊媒師にショパンさんは会いに行ってください。
音楽でトランス状態になれる霊媒師に会いに行くようにとのことですが、彼女は、
シャンゼリゼ通りの外れにあるシャイヨー通り80番地の1階に住んでいます。ショパンさんはとても快適に過ごしていただけます。
私の娘とマイル・デ・ラ・ルーがあなたの隣にいて、ショパンさんのために素晴らしいアームチェアをご用意しておりますので、あなたは疲れませんし、きっと楽しんでいただけると思います。
私自身が行けないのは残念ですが、私は、
あなたへの愛以外のすべてのことは諦めてもかまいません。
            カミーユ・ド・クールボンヌより
追伸、ショパンさんは人ごみを怖がらないで、そこにはほとんど人が来ませんから。」
気味の悪いショパンへの霊媒師の勧誘にショパンは応じたかは不明である。
ショパンは母ユスティナからいつもサンドのような霊媒師と別れるように言われて来たことがあった。
デルフィーネ・ド・ジラルディン夫人は作家で、その夫エミュール・ド・ジラルダン(ジャーナリスト)はサンドの仲間であったのだ、怪しい手紙にサンドの陰が見え隠れするのだった、ショパンは無視したかは不明だが、
ソランジュとのやり取りからも逃れられず、
どうするショパン……。


 

0コメント

  • 1000 / 1000

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです