19世期セーヌ川沿い風景とショパン肖像画よりイメージ
ショパンは演奏会の準備に奔走していた。
ショパンの出演料が幾らにせよ、
演奏会でお金を稼いだら何処かへ旅へ行こうとショパンはしていた。
お金だけではない、この演奏会で貶められた
評判を回復し、ショパンにとっての駄本であるサンドの暴露本を絶版にさせることを毎日祈っていたショパン「アーメン」…。
ルドヴィカ夫妻へサンドと関わらないよう忠告を促したショパンは、翌る日には、今度はワルシャワの妹イザベラ夫妻と一緒に住んでいる母と三人に宛てて書簡を書いた。
「あなたに手紙を書くのはずいぶん久しぶりですね。ご存知のように、手紙を書くのを
先延ばしにすればするほど、ニュースはどんどん溜まっていきます。
そして、そのように書かずに時間が経つと、人はその溜まった材料の塊で、結局は何も書かずに終わってしまうというものです。
さて、今日は私が元気であること、そしてあなたの手紙を受け取ったことを伝えるために数行を書こうと思います。
私はあなたからの手紙を受け取りました(イザベラまたは母からの書簡、現存しない)……」
ショパンは書簡を書かけなかった理由を
伝えた。
「私の書簡が短い理由は、今月16日に開催される演奏会のことで頭がいっぱいだからです。ある朝、私の友人達がやって来てたのです。私に演奏会をしなければならないと友人達は言い出しました。私は心配することは何もなく、ただ座って演奏すればいいからと説得されました。」
ショパンはこの演奏会のことは、本当はうんざりだ、と思っていた、
宮廷からは誰ひとりとして来ないため、
40席の空席が予想されるのだ。内心はうんざり演奏会であることは隠して、母に心配かけぬように友情出演であり何も心配がないと書いた。
そして、「チケットは20フランですが、1週間前に完売しました。一般の人々は
2回目のコンサートの予約のために名前を書いてくれていますが、私は行うつもりは全くありません。…」ショパンはやはり、二回とはやりたくないという意思は固かった。
しかしながら、ショパンのチケットは一回目は完売し、実際には行なわない二回目の演奏会も予約が殺到したと、ショパンは母を喜ばせるように書いた…。
それから、ショパンは音楽に対しては変わらず誠実であることを母とイザベラに話した。
「私は、良心のためにも、今日から練習を始めなければなりません。
というのも、これまで以上に演奏が下手になった気がするからです。」
ショパンはサンド一家にお金を奪われたため、お金のための疲れるレッスンに多忙を極めすぎ、この3ヶ月間というもの練習らしき練習をしていなかった、
「私は(目新しいものとして)次の曲を演奏する予定です。
フランショームとアラールと一緒にモーツァルトの三重奏を演奏します。ポスターも無料チケットもありません。」
ポスターもチケットも印刷にお金がかかるため作らないのか、それとも余計な宣伝はしたくないショパンなのか…。
ショパン作曲の曲は予定になく、フランショームとアラールと演奏するというショパンなのだ。しかもモーツァルトなのだ…。
「ホールは快適に配置されており、300人を収容できます。
300. プレイエルはいつも私の愚かさをからかって、私にコンサートをするように勧めてくれます。」ショパンが演奏会をやりたくないことを知るプレイエルは、ショパンの気が変わらないように演奏会の日を迎えるまでショパンに面白おかしく言葉をかけに来た。
プレイエルホールの階段を花で飾って
ショパンが自分の家のようにくつろいだ気分で演奏できるように準備は着々と進んでいた。
「私が演奏中に目に入ってくるのは、実際、見慣れた顔以外の人はいませんから、」ショパンは誰が来るか警戒していたのだ…。母と妹にも、知り合いだけしか来ないから安心なのだと書くショパンだった。
「私が演奏するピアノはすでにここにあります。」ショパンのピアノは既にプレイエルホールに運ばれていた。
「昨日、私が署名して梱包したプレイエルの素晴らしいピアノは、伯爵宛てでクラクフに送りました。」ショパンはこの時ポーランド貴族の政治家へプレイエルピアノをポーランドのクラクフへショパン自らの手で梱包して送ったというのだ。
彼はパリにも来たことがあり、政治家でもあった彼は、ポーランドの政治の中心地をパリからクラクフに移すことについて、ホテルランベールのポーランド難民問題について交渉していたのだ。ショパンがポーランドに帰るための条件にピアノの贈与があったのか…。ショパンの出演料はピアノに消えた…だからプレイエルはショパンに冗談ばかり言って上機嫌なのだった、、。
「あなたが私のために作ってくれた毛布がやっと届きました。
誰が届けてくれたのかは分かりません。」
高齢の母は目がよく見えなかった、イザベラが作ってくれたのであろうか、しかし、
ショパンのアパルトマンまで誰が届けたかわからないと言うショパン…。
「見た人は皆、感心しています。ありがとうございます。あなたたちは
寒い日が続きパリの街は霜が降りています。
セーヌ川が凍っていたこともありました。
ポーランドの私の古くからの友人達にひとりひとりによろしく伝えてください。ショパン」
ショパンはポーランドへ帰ろうと心が傾いていたのだ…、二度とやらないパリでの演奏会だとショパンは密かに思っていた…。
母からの贈り物と信じ、暖かい毛布に身を委ねると、凍りついたセーヌ川のような心が少しずつ溶けてゆくことを感じていたショパンだった…。
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
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