F.ショパン 、ワルシャワ聖十字架教会にて

ワルシャワ聖十字架にて
ショパンの心臓を込めた柱、花束の上
カララ大理石(イタリアの白い大理石)の
石碑には、1880年にレオナルト・マルコーニ
によるフレデリック・ショパンの碑文が
刻まれている。
レオナルト・マルコーニ(1835年10月6日 ワルシャワ生まれ、 1899年4月1日リヴィウで死去)彼はイタリア出身のポーランド人彫刻家であった。1828年からポーランドに住んでいたイタリア人彫刻家フェランテの息子、建築家ヘンリク・マルコーニの甥である。

✳︎ワルシャワ聖十字架教会✳︎
ショパンが通っていたワルシャワ大学の向かい側に位置する。
ショパンは、ワルシャワに帰れないことを覚悟していたのだ。ショパンは自分の心臓はワルシャワに納めてほしいと遺言を遺したためワルシャワ聖十字架教会に納められたが、
第二次世界大戦(1939年9月1日 – 1945年9月2日)の頃、ショパンの心臓は避難のため持ち出された。教会は半壊し再建された後の1945年10月17日ショパンの命日に心臓は戻された。それ以降も聖十字架教会にショパンの心臓は大切に守られていてる。

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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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