ジョルジュ・サンドにショパンが最初に会った印象は「虫の食わない女だ」という有名な話しがあるが、ショパンの性格から読み解くとそれはずっとそれは本当は変わらなかったのではないか。
なぜなら、ショパンのような一途に思い詰める性格はロンドンでもピアノ製造の視察の他に
もオペラ鑑賞もしていた。オペラも決して諦めてしまったわけではないショパンだった。そ
れはポーランドの残して来たコンスタンツィアのことも、たとえコンスタンツィアが結婚して
しまったとしても、ワルシャワでコンスタンツィアと結婚していたのは本当はフレデリック
であって、戦争でふたりは引き裂かれただけであるから、美しいコンスタンツィアの思い出
も想いも消えはしないのであった。ショパンは実はパリに来てからもコンスタンツィアと手
紙のやり取りがあった。(現存はしない)
ショパンの今までの経緯と性格からサンドが現れたからとショパンがサンドを好きになった
とは考えにくいのである。理由は他にも見当たるのである、ショパンはパリに来たとき性病
の看板が歩く度にあちらことらにあるほど、パリは最大に卑猥で最大に悪であるとを悟って
いたショパンだった。パリで男遍歴が数限りないことで有名なサンドだった、思慮深いショ
パンが警戒したことは確かではないか。そのうえ、サンドはヘビースモーカーだったようだ
から、ショパンは、父のニコラスから健康上の注意として、部屋をタバコの煙で一杯にする
ような人とは一緒に住まないようにと注意されていたのだ。そして、母ユスティナからはサ
ンドのような女占い師と付き合わないように忠告されていたフレデリックだった。
しかも、ショパン家は家族仲がよかった。離れていてもお互いに想いあっていた。
ショパンとはそういう人物であることを忘れてはならないのだ。
そして、夜会のことを一番心配していたのは父であるニコラスであったはずだ。夜のサロン
に出掛けることはフレデリックの健康を害するからといつも息子フレデリックに忠告してい
たのだ。フレデリックの健康管理のために信頼できる親友であり医者のマッシンスキをショ
パンのアパルトマンに送り込んだのも父ニコラスである。
それなのに、ショパンの健康を考えるどころか、夜中の0時からサンドの家で、ショパンに演
奏させタバコ?の煙で部屋を一杯にする女サンド、悪女というより悪魔でしかない。
ショパンの日記(ショパンが日記を付けていた証拠はない偽造の可能性との見解もある)サ
ンドが毎晩ショパンのアパルトマンに通い詰め、ショパンが「彼女は自分を愛していて、オ
ーロラ(サンドのこと)、なんと美しい名前」とショパンがサンドに言ったとか言わないとか
という説がある、しかし、これはアンドレ・モーロラによるフィクション小説であるのだ。
モーロラは哲学者で小説家のエミール=オーギュスト・シャルティエに傾倒していたのだ。
エミールは、芸術は理性と意志とが素材を乗り越え、想像力を加えてまとめる事だとモーロ
ラに教えたのだ。
つまり、あたかも夜な夜なサンドがショパンのアパルトマンに通って男女の仲になったとい
う物語はモーロラが小説「ジョルジュ・サンド」の中で書いた妄想の作り話なのである。
実際は、ショパンはこの頃、マッシンスキとまだ一緒にパリのアパルトマンに住んでいたの
である。ショパンは健康状態は悪くなっていることはマッシンスキは医者であるからわかっ
ていたはずであるのだ。マッシンスキとショパンが住むようになってから、誰もショパンの
アパルトマンにそうそう入り浸れなくなっていたのだ。しかも、ド・キュスティヌ伯爵はシ
ョパンは病は危機的状況であるから恋愛は今のショパンには毒であるからショパンが早く命
を落とした場合を芸術の損失になるため健康的に暮らすことを薦められらばかりであるショ
パンであったはずだ…。
1838年5月23日サンドはイタリアの亡命者でパリの領事となったマルアーニ伯爵の夫人のシェ
ルロッタ・マルアーニ伯爵夫人へ意味深な手紙を出している。これは手紙と言ってもマルア
ーニ伯爵夫人からの質問に対してのショパンに関するサンドの調査報告書のようなものである。
「私はあなたの素敵な手紙を受け取った。しかし、私はあなたに完全に答えることはできない。あなたが愛する時期を知っているように、愛も天気のようなもので変わりやすく、はいといいえがたくさんあります。
朝には「これは耐えられない」とだけ言う人も多いでしょうが、夕方には「これは絶対の天国です」に変わるかもしれない。
私は気圧計のように感知して、人が安定しているかをの様子をうかがっているのですよ。
少なくとも一定の時間、何かが確実に安定しない場合は、私は実行できません。
私は9人目で誰かを責めているわけではありませんが、それが理由ではありません。
私はあなたに「嘘つき」の宣言をします。
私はあなたの指令通り、ショパンの友人、グシマーワへの計り知れない長い長い手紙を書きます。
ジョルジ・サンドは19世紀の最も男性経験豊富な女性です。ショパンの攻撃方法はショパンの性格上細心の注意が必要である。
調査の結果1837年までにショパンのマリア・ウォジンスキとは男女の関係は何もありません
でした。しかし、ショパンに打撃は与えた、彼は負傷して心を痛めている。
これらを克服するためにグシマーワを、ショパンの傍に置く。
パリの親密で信頼できる友人(ティトゥスのことであろうか)以外、ショパンは人を信じる
ことは決してありません。
ショパンの信頼する友人とショパンは彼らの性格ではジョルジュ・サンドの性的関係の誘惑
に騙されないと考えられる。
グシマーワをショパンの最後の友人としましょう。」ノアンからサンドはこのようなショパ
ンに関する調査報告をパリのマルアーニ伯爵の夫人へ宛てだのであった。
ノアンの館 ジョルジュ・サンドの家 19世紀頃
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
Pianist由美子UNOの感性が描くショパンの人生の旅のロマン このブログはPianist由美子UNOが全て手作業で行っており ショパンの物語の文章と画像はオリジナルです日々の出来事なども時折り皆様にお届けしております お楽しみいただけましたら幸いです
0コメント