F・CHOPIN、ショパン、これから独居房へ…

ショパンは医者からの宣告で死を覚悟していた。そして、彼は神が生かしてくれる日が続く限り自分の命は音楽に捧げることを心のどこかで誓っていた。それは父、ニコラスが孤高の道を選ぶようにフレデリックに諭したように誰でも通れる道ではない狭くて険しい道のりであった。

ショパンは、体調を少しでも回復させプレリュード集をなんとか書き上げなくてはならなかった。それには、ピアノがどうしても必要だった。友人たちからも通信が途絶え、ショパンの一方通行の連絡が続いた。

フォンタナへのショパンの悲痛な頼みは届いたかもわからずじまいのまま2週間が経とうとしていた。ショパンは誰からも連絡がなくても便りを書き続けるしかなかった。

パリでマッシンスキも病気なのだ、助けを求めるべきは今のショパンにはフォンタナしかいなかった。

フォンタナにはショパンはパルマに来て3回目の便りをフォンタナに書いた。

ショパンはフォンタナがちゃんと郵便税を元払いにして出しているかとか、自分の家族への手紙をフォンタナはちゃんとワルシャワへ郵送したのか、家族に不幸があったのか、とか

本当はフォンタナが自分を裏切って家族への郵便を送っていないのではとか…悲観的で否定的な考えしかショパンは思い浮かばなくなっていた。しかし、それを振り払うようにショパンはフォンタナへ宛てて書いた。

「君は怠け者ではないはずだ。あなたは真面目だ。私はあなたが私の手紙を家族へ郵送してくれたと信じています。

あなたに頼んだ私がパルマで書いた家族への2通の手紙は、このパルマの地域が世界で最も不便であり不規則なため配達がまだなされていなだけなのだ。」

ショパンの心境は絶望の中でも希望の光を見つけようとしていた。

ちょうどその頃、待ちわびていたプレイエルからのアップライトピアノがやっとマルセイユから商船に積まれたことを知ったショパンだった。

ピアノは冬の間をマルセイユの港で船に積まれたまま過ごすことになるであろう、とショパンは予想した。そして、天候が悪くなれば、たちまち船は欠航になる。 だから、結局ショパンはパルマを離れるころにしかピアノを受け取れなくなってしまうのだ。

そうなると、プレリュード集の完成は益々遅れることになるのである。

「ショパンはマヨルカ島に着いたピアノをまた送るために、

500フランの税金がかかり、また荷造りしなければなりません。」とフォンタナにお金がかかるることを報告した。そして、

「しかし、お金を払うだけではない喜びがあることでしょう。」と語った。

ショパンはわずかな希望に期待をしながらも、自分の体調は、夜は咳で眠れておらず、

プレリュードの手稿は眠ったままであった。

ショパンは春が来るかのように誰かの助けが来るのを待っていたのだ。

スペインの総督がサンドにヴァウデモーサの修道院の付属の庵室独房に空きができたから、そこへショパンを移すようにと指示したのであった。

ショパンは、素晴らしい独房とサンドから聞いていて、明日からそこで曲を書くことになるだろうと、フォンタナに報告した。

ショパンの前に修行していた老僧の魂はショパンよりも燃えていたのだろうと、ショパンはサンドから聞いた、その老僧はそこで魂を彼自身で消した、そして消してしまったのだ、それは彼の修行は無駄に燃え尽きて終わったとサンドがショパンに言った。

ショパンはその小さな独房で≪プレリュード集≫と≪バラード集≫を書き上げるように「薔薇と、オレンジと椰子といちじく」に強いられることになるとフォンタナに報告した。

そして、出来上がったらフォンタナに送るからとショパンは付け加えた。

銀行家のレオとプレイエルに会いに行って、彼らには自分が病気であることは言わないようにとショパンはフォンタナに口止めした。

それは、銀行家のレオからショパンが1000フランを借りていたからなのだ。

その1000フランはピアノの関税の往復料金だけで使い切ってしまうことになるのだ。

ショパンは何もかもがピンチであることをフォンタナに伝えたのであった。


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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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