F.CHOPIN、献呈の謎とサンドとの別れの決意
≪プレリュード作品45≫の完成をフォンタナに伝えてから1週間後、ショパンはパリのフォンタナに写譜と校訂を頼まず、自分で2部写譜したのもをパリのフォンタナに送った。
そして、「大きい音符で写してある方がシュレジンガーで小さい方がメフェッテイにに送るように」フォンタナにショパンは指示した。
そして、「≪プレリュード作品45≫と同じように、≪ポロネーズ作品44≫も同じように短くしてください。そして、そこに僕のメフェッテイ宛ての手紙を同封してください。」≪ポロネーズ作品44≫に関しては校訂をフォンタナに任せ、ウィーンへ郵送を指示したショパンだった。
こうして、≪プレリュード作品45≫と≪ポロネーズ作品44≫の原稿の写しはショパンの速達の指示で早急にフォンタナの手によって、ブルス広場からウィーンへ送られたのだった。
「ハスリンガーには君が手紙を書いて出してください。シュレジンガーに会えない時は手紙を置いてきてください、しかし、≪プレリュード作品45≫は、商談がまとまるまで渡さないように。イギリス版の権利にシュレジンガーが興味を示さなければ僕へ直接返事をするよう伝えてください。僕に100フランの即時支払いを求めているのではないと言ってください。」
ショパンは事細かにいつもフォンタナに指示を出していた。
そして、≪プレリュード作品45≫は、エリザベス・ツェルニツェフに献呈しようとショパンは考えていることを、フォンタナに内密にしておくようにと頼んだ。そして、
「ヴァンドームにあるオテル・ド・ロンドン(僕の友人が住んでいる場所)に女王が滞在中だから、そこへ付き添いで来ている教育係のクラウツェ嬢に会いに行ってくれるかね、献呈するのは王女ではなく、そのご令嬢だよ。そして、クラウツェ嬢にご令嬢の名前の綴りを聞いて名前を確かめてくれるかね。母君には献呈の話をしてもよいが、姫君にはまだ何も言わないように、君が言いたくなければ言わなくてもいいけれど。もし、わからなければ、どこかに姫君の名前の綴りが書いてあるものをみつけてくれると助かるのだが。」
ショパンはこのように、暗号のようにフォンタナに頼んだのだ。この年は、ヴィクトリア女王の長女ヴィクトリア・アデレイド・メアリ・ルイーズが前の年1840年11月に生まれたところであった。
ショパンは、パリで新しいヴァンドームのアパルトマンへ引っ越す計画は着々とフォンタナが手配してくれていた。居間にあるソファはフォンタナにあげることにしたショパンだった。
「サンドがいない間に、家主のペルタンと二人で、僕が買った家具類全てを運び出して、
僕が住んでいるピガール街16番地の別棟の僕がひとりで住んでいる住居の方へ、すべて置いてくれ。」
ショパンは自分の出版の交渉の努力をしながら、ショパンはとうとうこの時、サンドと別れる決心を密かにしていたのだった。
ヴァンドーム広場 19世紀頃
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