F.CHOPIN、スカルベックとの再会を望むフレデリックと海王星の発見

ショパンは、ワルシャワのルドヴィカへ何日もかけて書いていたと思われるほど

長い書簡を書いていた。今までもフレデリックは5日間程かけて書くことはあったが

、この時は特別に長かった。

犬のマルキはショパンのソファに寝そべっているその傍でショパンは筆を走らせていた。

ショパンは1階のサイドテーブルから2階の自分の部屋に移ったのだ。

フレデリックは熱心な新聞購読者だった。サンドがパリで幾つもの新聞を取り寄せてた。

ノアンの田舎では情報が少ないため、ロゼールにパリから送らせていたと見られる。

いつものようにニュースが幾つか溜まって来るとワルシャワのルドヴィカへパリの最新のニュースをフレデリックは伝えた。

「〈ラ・プレス〉新聞で僕はフランクフルトで開かれている刑務所改革の専門家会議に関連した記事を読みました。僕の名付け親のフレデリック・スカルベックの名前に気がついた。もし彼がパリに来ることがあれば、僕は喜んで彼に会うだろうし、ロゼール嬢に手紙を書いて、彼女が僕のパリのアパルトマンの管理人と一緒に彼の名刺を見つけたらすぐに知らせるように伝えるつもりです。」

スカルベックのことは、フレデリックはポーランドを出てからスカルベックの名前を名乗れば何処へ行っても通用すると思っていた時期があった。しかし、スカルベックは元々はポーランド貴族であったが、

11月蜂起後は完全にロシア当局を支持していた、そのため、フレデリックはポーランドの革命家の

ブラックリストに挙げられてからは、スカルベックと疎遠になっていた。

その、スカルベックに会いたいと思っているフレデリックはブラックリストから外してもらいポーランドに帰りたいという気持ちに傾いていた。

そして、どういう訳か、話は天文学のニュースへ飛び込むフレデリック。

「他のニュースの中でも、ルヴェリエ氏の新しい惑星[海王星]についてはすでに聞いていると思いますが、

パリ天文台で働いているレヴェリエは、天王星の不規則性に気づき、これまで発見されていない別の惑星に原因があると考えています。その距離、軌道、質量、そして彼が説明したすべては、ベルリンのガレ氏と同じで、今ではロンドンの人々[ジョン・ク―チ・アダムス]は、観察することができました。

数学がそのような発見につながるという科学にとっての勝利はなんと素晴らしいことでしょう。

科学アカデミーの最後の会議で、アラゴ氏は新しい惑星をレバリアーと名付けるべきだと提案しました。

ガレ氏はベルリンから手紙を書き、命名権はルヴェリエ氏にあると述べたが、彼は『ヤヌス』を提案したのです。

ルヴェリエ氏は『ネプチューン』を好んでいます。しかし、科学アカデミーのある部門の反対にもかかわらず、数学の力によって天文学の分野でこれまで知られていなかったことを達成した発見者の名前を地球に与えることに賛成する人が多いのです。

『デ・ビィーコ』または『ハインド』と呼ばれる彗星があるので、天王星は『ハーシェル』とも呼ばれていたので、なぜ『レヴェリエ』と呼ばれる惑星があるべきではないのですか?

王はすぐに彼にレジオンドヌール勲章を与えました。 。 。 。」

1846年9月23日海王星がベルリンで発見された大ニュースを姉ルドヴィカにこうしてフレデリックは伝えたのだ。

そして、最後にルイ・フィリップ王がこの大発見にレジオンドヌール勲章を与えたとショパンは結んだ、ショパンと敬遠の仲だったルイ・フィリップ王はこの明るいニュースでご機嫌なのだろう。ショパンはこの恩赦とスカルベックの口添えでポーランドに帰りたいと密かに思っていたかもしれない。


【 ラ・プレス:「ラ・プレス」はフランスで最初のペニープレス新聞でした。

ペニープレス新聞とは、1830年代以降アメリカで大量生産された、安価な新聞でした。手作り印刷から蒸気式印刷への移行により、安価な新聞の大量生産が可能になりました。年間40フランで有名でした。他の新聞は年間80フランの費用でした。ブルジョワジーの中産階級市民がリーズナブルな価格で大衆ニュースが得られると当時は画期的でした。

ショパンとサンドも、それまでたくさん新聞を取っていたが、安い大衆新聞に移行したのか、たくさん取っていた中のひとつだったのかもしれない。】

 ユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエ

1811年3月11日フランス西部マンシュ県のサン=ロー-1877年9月23日パリ

 海王星=ネプチューンの発見

ルヴェリエは天体力学を専門とするフランスの天文学者で数学者で、その存在を予測し、数学のみを使用し海王星の発見をした。19世紀の科学の最も注目すべき天体力学の劇的な検証と広く見なされている。


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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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