ワルシャワに居るルドヴィカはフレデリックにとって、唯一の芸術の理解者である。
その姉に、フレデリックが何日もかけて書く書簡は、オペラの話題に移った。
ワルシャワでは新しいオペラが上演されないため、ルドヴィカへ最新の話題を
フレデリックは伝えることが姉からの援助を受けていることへのお礼でもあるのだ。
そして、自分のオペラへの情熱の火が消えていないことをルドヴィカには解っていてほしかったフレデリックであった。
「来シーズンに向けて、ロンドンのイタリアオペラでは、大きなライバル関係が生まれています。スペインの銀行家であり、マドリッドの国会議員でもあるサラマンカ氏が、コヴェント・ガーデンというロンドンで最も大きな劇場の一つでありながら、社交界の世界から遠く離れた場所にあるという理由で、あまり成功したことのない劇場を借りています。
そして、イタリア王立歌劇場の常任理事のラムリー氏。
彼はロンドンの社交界の全ての人々に選ばれている 劇場で、ラムリー氏は、 来年のためにとりあえずいつもの歌手を急いで 雇おうとはしませんでした。
ラムリー氏はシルクのパネルの劇場の音の優位性を冷静に自信を持っているのです。
しかし、 サラマンカ氏が、ラムリー氏の前に割り込み、歌手のグリジ、マリオ(歌手)、ペルシャ(作曲家)と契約をしました。ラブラッシュ(歌手)を除いて、(この3人は)すべて高い給料です。」
フレデリックは、ロンドンのオペラ界から目が離せなかった。ショパンにとっては、一度は行った地獄のロンドンであった。イタリア行きも凝りてからは諦めていたショパンは、それから年月が経ち、やはり、オペラはパリかロンドンかと冷静に見極めようと思案していたのかもしれない。
サラマンカ氏は政治影響力のある、著名な貴族の出身でした。
一方のラムリー氏は、カナダ生まれのイギリスのイタリア・オペラ座のディレクターであり、弁護士でもある彼はユダヤ人の商人ルイス・レヴィの息子でした。
大都会のロンドンのオペラ界は競争の嵐が吹き荒れていた。オペラ界の熾烈な戦いをフレデリックはルドヴィカへ伝えた。
サラマンカ氏
Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景
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