フレデリックはオペラの話題が尽きなかった。
サラマンカ氏に歌手のグリジ、マリオ(歌手)、ペルシャ(作曲家)との契約を先取りされたラムリー氏は、
それに対抗して、ベルリオーズの<ドン・ジョバンニ>で有名な歌手ピシェックと契約をした。彼は、1814年10月14日、ボヘミアのメルニックで生まれた素晴らしいバリトン歌手、ピシェック・ヨハン・バプティストでした。
「ラムリー氏は、ラブラッシュと、更に、リンド嬢、ピシェックと契約しました。
ピシェックのベルリオーズのドンジョバンニは最高と言われています。
ロンドンでは、芸術の奇跡よりも、社交界の風習が重要なのです。
ですから、来シーズンは面白くなりそうです。
彼らは古いオペラ(ラムリー氏がディレクターである王室イタリア・オペラ座)はビクトリア女王がパトロンだから公演を続けるでしょう。」
フィレデリックはロンドンのオペラ界の実情をルドヴィカへ話した。
続いて、気になるパリの様子もフレデリックは伝えた。
「パリのオペラ座は、まだロッシーニのオペラを上演していないのです。指揮者のハーベネックは数か月間休んでいました。しかし、今やピレット氏(ディレクター)の方が優れています。イタリアのオペラシーズンは、既に、パリでは始まっています。
パリの新しいバリトン歌手のコレットは、
[ロッシーニ]のセミラミデに登場し話題になっています。
彼は若くて美男子で才能があり、すでにたくさんの恋愛物語があるのです。
そのため、彼の父親は彼を教会に入れさせようとしたのですが、
彼は、ローマでそれを放棄し、ナポリで俳優になったのです。
彼はリスボンに数年間いましたが、彼の話によると、そこで2人の女性が彼を巡って
決闘をしたそうです、それに加えて、彼がうまく歌うならば、それだけでパリではやっていけるのです。
しかし、私はパリでご婦人方の果し合いがあるかは疑わしいと思います。
しかし、彼はポルトガルよりもパリでお金を稼ぐでしょう。彼はまた、スペインのマドリードで歌って成功したのです。
今、マドリードでは、素晴らしいお祝いが準備されているのです。女王とそのいとこの結婚式と、女王の妹の王女とルイ・フィリップ王の末の息子のモンパンシエ公の結婚式です。」
フレデリックはロンドンでは芸より社交、パリは美男子のバリトン歌手・・・とルドヴィカへ伝えながらも、ルイ・フィリップ王が天文学の発見に続き、自分の息子の結婚式の準備とお祝い続きでご機嫌がかなりいいのだと、姉のルドヴィカへ話したのだった。
ルイ・フィリップ王の末の息子のモンパンシエ公
アントワーヌ・ドルレアン(1824年7月31日フランス・ ヌイイ・シュル・セーヌ-1890年2月4日スペイン・サンルーカル・デ・バラメーダ)
モンパンシエ公
フランス王ルイ・フィリップと妃マリー・アメリーの末の息子として誕生した。
1846年10月、マドリードでスペイン王女ルイサ・フェルナンダ(スペイン女王イサベル2世の妹)と結婚。
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