F.CHOPIN、フレデリックの唯一の姉、ルドヴィカへ

長い長い書簡を書き始めてから5日程経ってからフレデリックはようやく姉ルドヴィカへ一番大事な自分の作曲のことをおもむろに話し始めた。

「私の手紙には、可能な限り最高のニュースでいっぱいにしたいと思うのですが、私が言えることと言えば、あなたを愛している、ということだけです。

いつまでも、いつまでも。私は少し弾いては、 少し書いています。 時々、私は

チェロ・ソナタに満足している時もあれば、満足していない時もあるのです。私はそれを脇に投げ捨てて 再び取り上げます。」

フレデリックは、自分の作曲の仕事の信条を姉ルドヴィカへ正直に打ち明けた。

「新しいマズルカを3曲持っています[作品63]。

古いものは判読できないと思いますが、適切に判断するには時期尚早です。

人が何かをしているときは、それがすべて正しいように見える。

でなければ 何も書かない。

慎重に反省して、あるものを保持するか拒否するのは後になってから解るものです。時間は検閲の最高の形であり 忍耐は最高の先生です。」

フレデリックはマズルカ作品63は随分前に書いて寝かせてあったのだ。

それを時間という経過が曲を自分の中で熟成させ、書きあげたばかりの時とは別の観察眼で自分の書いた作品を見直し書き直していたということなのだ。それが忍耐と時間は最高の先生であるというのだ。ここに芸術の奇跡を信じていたフレデリックの姿があったのだった。

フレデリックはおもむろに話はじめたが、誰も解ってはくれはしなくとも、姉ルドヴィカだけは子供の頃から自分の作曲に寄り添って来てくれた唯一のフレデリックの芸術の最高の理解者なのだ。そのルドヴィカにだけは自分の信念を分かっていてほしかったのだ。

ショパンは、「世間では天才と言われている私ですが、易々と生まれた曲などないのですよ、

時間の経過があってこそ生まれてくる奇跡こそが芸術です」と言いたかったのであろう。そして、そのことが分かってくれる姉ルドヴィカとだけはフレデリックの孤独を共有しかたったのだった。

ルドヴィカ・ユドルジェイェヴィチ (旧姓 ルドヴィカ・ショパン )

Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

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